If バレンタイン
If バレンタイン
「あー!」
「?」
見れば、テーブルの上で乾かしていたはずのチョコレートが跡形もなく消え去っていた。
小脇では口の回りを茶色で彩ったアロスがぽかん、と突っ立っている。最後の一つを頬張ったばかりなのか、ほっぺただけもごもごと動いている。
「ど、どうして食べちゃったの?」
「……食べちゃだめだったの……?」
今にも緊迫の糸がぷつん、と切れてしまいそうな子供部屋。
無理を言って貸してもらった厨房の後片付けを終わらせて、そろそろ出来上がっていたであろう「本日のメイン」の様子を見にアニスとここへ戻ってきてみれば予想外のトラブルが待ち受けていた。
「ああ、おやつと間違えちゃったのね……。」
おやつにしてはずいぶんとざっくばらんに並べられていたはずなのだけれど、食欲の方が圧倒的に勝る子どもにそれを求めるのは酷な事。
しかも、子供部屋のテーブルの上、とくればおやつだと思ってしまっても仕方がない。
「秘密であげようと思って、たのに……。」
アニスは自分のスカートと、私のドレスを同時に掴んでぎゅっと握った。滅多に泣く子じゃないけれど、今は目にうっすらと浮かんだ涙を一所懸命に堪えている。
「お母様もアロス達がこんなに早く帰って来るとは思わなかったから……ごめんなさいね、アニス。」
アニスはぽす、と私のドレスに顔を埋めた。どうあっても泣き顔を見せたくないらしい。
アロスはアロスで、ごめんねアニス、と言いながらおろおろするばかり。アニスの顔を覗き込んでも、私にぴったりとしがみついてしまっていて、表情がどうなっているのか確認することは適わない。
本来の予定では、アロスとアランが出かけている間に「アニス特製チョコレート」を完成させて、二人が帰ってきたところでプレゼントサプライズを催すはずだった。
アニスは自分で作ったお菓子が目の前でできることが嬉しくてたまらなかったらしく、最後の仕上を自分の牙城──子供部屋で飾り付けすることで締めようとしていた。飾り付けだけは私にも秘密にしたかったらしい。
ベースになる素のチョコレートが消え失せたことは、アニスにとって相当ショックなはず。
「なんだ。何かあったのか。」
一触即発の状況に、アランが顔を出した。
このタイミングで登場とは、間が良いのか悪いのか……。
「あのね、食べちゃっ……」
「言っちゃだめっ」
アロスが正直に告白しようとすると、アニスが半泣きの抗議。
その間に、アランは部屋中に漂う甘い香りとテーブルの上の残骸をみて、大体の予想がついたらしい。具体的な仲裁をすることは無理ということも同時に分かったらしく。何せ最終的な目的先はアランとアロスにあったわけで、あえて「何をしていたのか」は知らない振りをした方がいい、とアランは判断した。
その後「どうするんだこれ」と目で訴えてきたのも見逃さない。
「そうねえ。ちょっと待ってて、アニス。」
渦中の子ども達を、一時困惑するアランに預けて私はあるものを取りに行く。足早に現場に戻って来ると、それをアニスの手に渡した。
「全部アニスが作った訳じゃないけど、半分はお母様と一緒に作ったものだからこれで許してあげて。」
綺麗なラッピングまで終わっていない、クラフト紙の包み紙に入ったそれを渡されると、アニスは一瞬で頬を緩めた。
そしてくるり、とアランの方に向き直る。
「はい、お父様にプレゼントです!」
小さな手の平の上にちょこんと乗った包みを、肘をぴんとのばしてアランに差し出す。
アランはさも知らなかった、というちょっとした振りまで入れて、その包みを丁重に受け取った。
紆余曲折あったけれど、無事お手製チョコレートが渡ったことで騒動は一件落着、といきそうだ。
「アニス、ぼくのは?」
「アロスはさっきいっぱい食べたからもうおしまいっ」
「ええー!」
受取人は早速包みをあけて1つ頬張り、ゆっくりと味わいながらそれを眺めている。じゃれあう小競り合いが繰り広げられている中、アランは横目で私にコメントをする。含み笑い付きで。
「よく予備なんてあったな。」
「……分かってて言ってるんでしょ。」
「さあ?」
最後の1つを食べ終わると、アランはアニスに「うまかった」と最大の賛辞と、頭をなでるご褒美を返した。
「ごちそうさん。」
私をちらりと見て言った。