【短編】絵本
絵 本
うずたかくつまれた革表紙。背文字が入らないほどの薄さで、頁をめくれば大振りの文字が箇所々々に印字されている。文字の下の広い面で色彩の伸びを見せる挿絵は、簡単な意味を補完するかのように表情豊かに演出していた。
「明日はどれにしようかな。」
頁をめくる指は元来の意味でそれを必要とする人ではなく、選定人だ。
「うーん、いろいろあって迷うな。アラン、どれがいいと思う?」
はたとめくる動作を取りやめて、アステアは助言を請うた。今眼前で所狭しと並べられているのは、小さな子供用の絵本である。
最近、アニスとアロスはこの「絵本」に取り付かれている。言葉を覚えたがり、色とりどりの絵に目を輝かせる。まだ文字を覚えていない二人は、しきりに俺やアステアに読んでくれるようせがんだ。寝る前に読んで聞かせてもらうのが特にお気に入りのようだ。
今日も、ついさっき小さな絵本芝居の上演が終了したところである。寝付いたところをそっと抜け出して、短い時間をここ、王の部屋で過ごす。
「読んでやってるのはアステアだろう。そっちの方が的確に選ぶんじゃないのか。」
「わかってないなあ。子供だって、同じようなのばかりだと飽きるの。」
「そういうもんか。」
「そういうもん。」
実のところ、俺は一度もその「読み聞かせ」とやらをやったことがない。理由はまあ、いろいろとあるのだが。
アステアは「頼りにならないな……」などと呟きながら、明日またやってくるであろう双子のリクエストに応えられそうな本を何冊か見繕って選定を再開した。
この絵本選定が毎夜の日課になってからというもの、アステアは律儀に前日に音読練習をしてから望む。
「ええーと。むかしむかし……。」
最初に全部読んでから音読すればいいものを、初見でいきなりやるのも日課だ。曰く、
「簡単な文字ばっかりなのに、突っかかったりするとなんだか負けた気がする。」
のだそうだ。絵本相手に負けるもなにもないと思うのだが。
アステアが応接間にて二人がけのソファで絵本音読バトルをする隣で、俺は何をするでもなく静かに聞いているのが定位置だ。時には考え事をしていることもあるが、大抵は終わるまで黙ってゆっくり聞いている事が多い。
たまにつっかえても見て見ぬ振りだ。たまにつっかえた時にアステアをちらりと確認してやると、一人で悔しがっているのが見えて面白い。
今日はあまりつっかからずに音読できたようだ。どうだ、といわんばかりにこちらに向かって眼を動かす。
「……よかったな。」
「ふふふふ。」
予行演習の観客の反応に満足すると、また最初の頁に戻って読み解きはじめる。
子供用の本ではあるが元々「書物」と名のつくものに目がないアステアは、じっくりと内容を噛み締めるのが好きなようだ。低年齢用とはいえ、バカにできない、とは本の虫のご高説。
今回選んだものは少し長めの話なようで、いつもより時間を取って読み進めているようだ。
俺は背もたれに身を預けて窓の外に視線を移し、流れていく雲をぼんやりと観察している。
と、右肩が急に重くなった。
「……?」
不思議に思って脇を見ると、アステアがいつのまにか頭を俺の肩にもたれかけさせて寝息を立てていた。
「……参ったな。」
俺はなんとなく、そのままの姿勢で、また窓の外を眺める事にした。
転寝程度だと思いしばらくそのままにしておくと、だんだんと頭の位置は下がっていき、ついには俺の太腿を枕代わりにして、寝顔が「丁度好し」と訴えてきた。
「……お前が絵本に眠らされてどうすんだよ。」
羽織っていた上着をかける。風邪を引かれでもしたら、明日の双子の楽しみが休演になってしまうだろう。
アステアにラリホーをかけるほどの手腕を見せた絵本を手にとって見る。開いてみると、予想通り簡単な文字ばかりが並んでいた。
「……。」
一瞬、冒頭を読もうかと口を開いた。幸いにして、今このことに気づいているものはいない。
「…………。」
声を出す寸前。
「……いやいや、やっぱり、無理だ。」
思いとどまった。
最初の一頁、動物達が木の下で集まっている頁だけが俺の目の中にお披露目され、それ以上始まることなくすぐに閉じられた。耳が少し熱を持っている。
本を元に戻して、仕切りなおすように俺の目の真下で眠りこんでいるアステアに小さく声をかける。
「……アステア、風邪を引く。」
「……んー……。」
起きる気配はない。
「……仕方がないな。」
うっかり起こさないように抱え込んで、寝室へと向かった。
ゆっくりと歩きながら、絵本の魔力というものはあながち馬鹿にできない、と俺は思った。