ロト紋好きさんに30の命題より

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  20. 故郷  


 橋桁の端から、川のせせらぎに耐えるように揺らめく魚を見る。魚を採るでもなく、観察してなにかを発見するわけでもなく、アロスはただそうやって眺めているのが割と好きだったりする。今日は川の魚であるけれども、対象は水車小屋の脱穀臼であったり、ちくちくと布をかいくぐっていく針の動きであったり──担い手は母のアステア──と、一定の周期で刻んでいくものを淡々と追ってしまうのだ。そして、それらが時間と共に少しづつ形を変えていくのが面白い。
 「刺繍に興味があるの?」と尋ねられたことがあったが、刺繍自体に興味があるわけではなく、アロスはごにょごにょと言葉を濁すに留まっている。本当のところは、変化自体に興味があるのだ。幼いアロスはうまく言葉を見つける事ができず、「アニスも興味を持ってくれたらいいのにね。」と、近からず遠からずなコメントを貰ったのだった。
 川はアロスが立っている橋桁を上流としてせせらいでいる。ただ泳いでいるだけに見える魚も、ずっと眺めていると徐々に橋桁の方へと逆らって上ってきているのが分かるのだ。まんじりと時間は過ぎていくが、アロスは飽きることなく付き合っている。
 魚はどんどん橋桁の方へと近付いてくる。
 小さな魚群が橋桁の下へ泳ぎを進めるにいたって、アロスは自分がどんな状況に置かれているのか悟る事になった。

 「わわっ!」

 知らず知らずのうちに橋桁からかなり身を乗り出してしまい、誰もが予想するであろうアクシデントが降り掛かる。必死に腕を踏ん張り足をばたつかせて軌道修正を試みるも、時既に……。

 「危ないぞ、アロス。」

 と、アロスの体は重力に反して石の橋桁から遠ざかった。

 「そんなに身を乗り出したら川に落ちてしまうぞ。」
 「お父様……!」

 うつ伏せの状態から脇を抱えて、小さなトラブルメイカーの危機をひょいと救い上げたのはアロスの父、アランだった。

 「何か珍しいものでもいたのか?」
 「魚、見てた。」
 「そうか。捕まえたいのか。」
 「ううん、見てるだけでいい。」

 アランは息子がちょっとやそっとお転婆をしていても怒ることはない。むしろ、年相応の遊びに興じているのを微笑ましく思っていた。若干内気なのが気に掛かるといえば気に掛かるが、それでも「子どもらしく」育ってくれている、と親心に思うのだ。

 「お父様はお仕事は終わったの?」
 「うん? あー……、終わったと言えば終わった。」
 「……顔に嘘です、って書いてあるよ。」
 「……参ったな。勘の良さまで似てきた。」
 「また「シツムカン」に怒られちゃうよ。僕も一緒に戻るから、お父様も一緒に行こう?」
 「そうだな。アロスには痛み入る。」
 「イタミイルってなあに?」

 そんな会話をしながら、父子は城へと続く小道を戻り出す。肩車をされたアロスは、父の頭にしがみつく形でアランの顔を覗き込んでは最近のできごとや姉弟のこと、いろんなことを話した。アランはしっかりと前を見据えながら、ゆっくりと歩く。アロスのおしゃべりに付き合うのはこの上ない福音に聞こえた。もちろん聞くばかりではなく、相づちを打ったり適宜返答を交えながら会話を楽しむ。
 やがて二人は城の裏手にある出入り口へと近付いていく。ことアランは、仕事を抜け出したという手前、正門から出入りするということは念頭にないらしい。

 「あ、お母様だ。」

 アロスは今度は肩車から身を乗り出して、城門前に佇む見なれた人影を指差した。

 「なんだ、裏口まで捜しに来たのか。」
 「お母様はなんでもお見通しなんだね。」
 「……まったくだ。」

 アランはちょっと苦笑すると、城門のやや手前で頭上の見張り番を肩から下ろした。アロスは一直線にアステアの方へと駆け寄っていく。

 「ただいま戻りました、お母様!」
 「はい、おかえりなさい。どこまで探検に行ったの?」
 「川の橋にいたよ。」
 「じゃあ、その近くでお父様を捕獲してくれたのね。偉いわ、アロス。」

 お父様が通りかかったんだよ、と子どもながらにフォローを入れるアロス。川に落ちそうになったところを助けてもらった恩義をちょっとでも返そうと健気に思ったのかもしれない。

 「捕獲とはひどいな。アステア。」

 やや遅れて、捕獲されてしまったアランが後ろ頭を掻きつつお縄についた。

 「あら、後で困った事になるのはアランよ。」
 「休憩もしたし、すぐ戻るとする。」
 「ふふふ、そうね。そうした方がいいわ。執務官が右往左往してた。……と、その前に。」

 アステアはこほん、と少しばかりわざとらしく咳払いをした。

 「帰ってきた時は、なんていうんだっけ?」

 二人のちょうど間に入る形になったアロスは、その様子を大人しく見ている。でも、いつも一緒にいるからこそ、微妙な変化には気付いていたりするのだ。
 今日もなんとなく、その変化に気付いた気がした。

 「……ただいま。」

 お父様の発するその四文字に、深い何かの意味がありそうだ、ということを。
 やっぱり言葉足らずなアロスであるけれど、それに関してはただ満足げな両親を確認しただけで満ち足りるのであった。
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