ロト紋好きさんに30の命題より

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  21. 剣|前編  

 「苛々する。無性に。」

 誰もいない自室で、私アステアは浮かない顔をしていた。一人の時は特に研ぎすまされる気がする。
 いつも通りに仕事をこなし、いつも通り定刻に切り上げる。それ以外でも、私を阻むものは何もない。城の皆はよくしてくれるし、アランとだって何一つささくれだつような事はないのだ。なのになんなのだろう、この焦燥感にも似た浮つきは。
 いつの間にか私の中に転がったこの不可解な毬栗は、ここ数カ月に渡って胸中を縦横無尽に横切っていく。このままではいつか誰かに当り散らしてしまいそうだった。
 感情に訴えて取り乱すのは私の性分に合わないと思う。何より、アランが悲しむだろうし、ここは健全に、なるべく穏便に、体を動かす事で発散しようと思ったのだ。
 向かう先は兵士が使う離れの修練場。平和になったとはいえ、いざと言う時や国防のためには軍を鍛える事も必要だ。修練場には魔法中和結界もはり巡らされているので、呪文の修練を積む時にも使用されたりする。誰もいない時に、たまに忍び込んでは私自身の修練の為に魔力強化の修練をしていることもある。
 でも今日はなんとなく、剣技の方で厭と言う程疲れてみたいという衝動が強い。心を無にして動きたい。
 この国で一番の剣の使い手は、誰を差し置いても王、アランその人だ。正統なロトの剣術の使い手としての彼の手腕より右に出るものはいない。免許皆伝どころの話ではないのだ。そんな貴重な人材であるからして、今は時折現場に降りては、兵の剣術練習の監督をしていたりする。尤も、自ら剣を揮うことは稀なのだけれど。
 今日はその臨時監督の日にあたっているらしい。らしい、というか、修練場にいると分かっていたからこそここへ向かった。



 扉をあけると、一心不乱に剣を振るう大勢の兵士が目に飛び込んだ。皆一様に、実戦にも耐えうる技術を収得しようと真剣だ。その内の一人が、目の端に止まった私を王妃と認識するまでに幾許の時間も必要無かった。

 「ア、アステア様……?! ど、どうしてこのような所に?!」

 アランが現場に降りることでさえ希有なことであるのに、彼等にとっては同等ほどの立ち位置にある私が突然現れたのだ。喫驚でひっくり返ってしまうのも無理はない。驚愕の波は瞬く間に伝播していく。ひっくり返る程ではなきにしろ、それなりに意表を突かれた現場監督が騒ぎをかき分けて近付いてくる。

 「どうしたアステア。こんな所に。」
 「さっきも同じ事言われたよ。」
 「そりゃそうだろう……。ほいほい顔を出すような場所じゃないぞ。」
 「アランがよくてどうして私は駄目なの。」
 「……なんか苛立ってないか。」
 「……別に。」
 「……まあいい……。何か用があるんじゃないのか。」

 私の苛立ちに勘付いたようだったけれども、それ以上突っ込まれることはなかった。
 アランはあまり感情を表に出す事はない。微細な違いはあれど、私のように他人が見ても分かるような差異を認めるのは難しい。

 「約束、果たしてもらいに来た。」
 「約束?」
 「ずっと前に約束してた。剣の手合わせ。」
 「……な、なんだって?」

 珍しく、他人が見ても「驚いた」表情を見て取れた。……これは、多分忘れていたんだと思う。

 「本気か?」
 「本気も本気。それとも、私じゃ不足?」

 品定めをするような感じで、アランに交渉する。私とてそれなりの、魔物の群相手に一人で渡り合うぐらいの実力はあるつもりだ。つまり、この目線は「挑発」。
 アランはしばし口を覆うようにして肩ひじを抱え込んで思案した。眉間の幅が狭くなっている。

 「……。俺相手に差しで勝負、ね。」
 「そう。」
 「久しぶりの「押しの一手」だな。……分かった。相手をしよう。」

 私は、一度こうする、と決めたらよっぽどでない限り引かない。それをよく分かっているからこそ折れたのだろう。アランは修練用の刀剣を適当に見繕って持ってこさせる。そして修練場の中央を空けるよう指示すると、壁際に圧縮されるように兵士達は立ち退いた。兵士引率長がよろしいのですか、とアランに一声かけたようだったけれど、王の緩やかな頷きによって締結された。王と王妃が真っ向勝負をしようというのだ。その提言も尤もだった。

 「一旦剣を交わせるとなったら、俺もそれなりにやるぞ。いいんだな。」

 アランは慣れた手付きで剣の柄を握り直す。刃先が床から垂直にせり立っている状態から、柄を軸に軽く半円を描き、一旦離れた柄は本手持ちになってその手に収まった。その動作一つでどれだけの手練であるか、素人だって見分けるだろう。アランが扱うのは、刀身がやや長めの、差渡し腰の当たりまでの長剣。かつての愛剣、ロトの剣と同じぐらいの規格だろう。
 対して、私が扱うのは指先から肘ぐらいまでの長さの短剣。ダガーほどの小回りは効かないけれど、素早さと手数を重視している。あまり軽すぎても今度は打撃に影響がでる。パワーで劣る分、チャンスの回数を稼げることこそが勝敗を分けるキーになる、というのが持論だ。これは、現役時代から貫いているスタイル。渡された短剣を器用に五指で柄を回転させると、アランとは対照的に逆手持ちになって掌に収まった。
 ざわついていた心も、一度剣を握れば風のない湖面のように静まる。

 「いつでも、はじめていいよ。」
 「……拝承。」

 たくさんの人が詰めているはずの修練場は、呼吸音すら掻き消えたかのように静まり返った。対峙した私達のどちらともなく、ジャリ、と床を躙り踏む。それが合図だった。
 アランの剣は下から掬い上げる軌跡を描いて迫った。ぎりぎりのところで仰け反ってやりすごすと、その反動を活かして後手に沿った短剣を横に薙ぐ。アランは一度振り上げた刀身を素早く垂直に下ろすと、短剣の動線に交わらせて刃を受け止める。奥歯が浮くような鋭い残響音。
 一切の無駄な余白はない。たったこれだけの手合わせでも、こう思わずにはいられない。
 やっぱり、アランは強い、と。
 無駄な時間は無い。拮抗する刃からわざと一旦力を抜くと、その先にフェイントで出来た次の踏み込む地が現れる。すかさずそこへ飛びこんで連撃を繰り出す。アランに力で押さえ込まれたらそこで終わり。鍔競り合いはなるべく避けた方が賢明なのだ。長剣は繰り出される斬撃を寸分の狂いもなく受け流す。ぶつかりあった刃の反動で一旦後ろへ下がって距離をとった。
 アランは地に刃先を滑らせるように擦り付け、そこから生じた剣圧を跳ね上げる。擬似的な遠距離魔法に近いそれは、瞬時に伏せた私の動きについていけない長い髪の流れを少し切り取って後方に飛んでいった。斜に打ち上げられた剣風が修練場の壁を越えて空へと吸い込まれていく。
 伏せた体勢から節々の跳躍力を活かして、私は切り込んだ。低い位置から一直線に走る上へと向かう流線。アランはそれを正面構えで受け止める……はずだった。

 体中のバネを活かして斬り込む。そのはずの体は、どこの回路がおかしくなってしまったのか、ぷっつりと動力が切れた。最終的に立ち上がる形になるはずだった私は、そのまま倒れ込んでしまったのだ。本当に、突然予兆なく。転んだわけじゃない。
 目の前でいきなり倒れられたアランは、ついさっきまでの剣士の目からすぐさま豹変した。持っていた長剣は床に落とされる。駆け寄って、突っ伏した私を抱え起こした。ものすごく近いところで声がしている。

 「大丈夫か、アステア!」

 異変に動揺した兵士たちがざわめいているのが聞こえる。目をあけているはずなのに全然前が見えない。耳の中を何かで蓋をされているような、ぼうぼう、という音でいっぱいになって頭の中まで侵食されそうだった。

 「ご、ごめん。大丈夫……」
 「全然大丈夫じゃない。どっか打ったか?」
 「打ってない……。」

 呼吸が浅い。どうしてしまったんだろう、私は? さっきまでは何ともなかったのに?

 「部屋に戻ろう。すまん。」
 「アランが謝ること、何も、ないんだけど。ごめんね。」

 そこから先は、あまり覚えていない。
 結局私は、迷惑をかけただけだ。本当に申し訳なく思った。そのまま私は、自室へと戻らされることになってしまった。自分の足ではなく、アランの足で。



22.二面性へ続く
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