ロト紋好きさんに30の命題より

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  22. 二面性|後編  



 動力の切れた私は自室に戻された。静電気の帯びた薄い布を肌の上にかぶせられたように触覚は鈍く、どこにも力が入らない。自力で歩く事がままならない私は、アランの背中にかぶさるようにして修練場を後にした。頬に当たる首筋の後れ毛と、背中越しの体温だけが現実世界と私をつなぎ止めているように思える。
 自室の寝台に横たわる。さっぱり膨らまない呼吸を補うように、浅い呼気を繰り返す。きっと回りではいろいろな手配が取られているのだろうけれど、そこまで気を回す余裕等なかった。とりあえず、多分侍女たちの手によって、かなり早い時間に寝巻きへと着替えさせられたことぐらいは分かった。
 寝台で回復を待つと、ややしばらくして耳の中の圧はだんだんと抜けて行き、目一杯、というわけではないけれど、呼吸も正常に戻ってきた。金縛りじみた躯のこわばりもほぐれてきている。
 強制的に遮られていた視覚。目を開けていても真っ暗、という不安感から逃げるように、倒れてから今までずっと目を閉じていた。恐る恐る目を開いてみると、最初は真っ白な光、次にぼやけた風景、焦点が定まった先にアランの顔があった。

 「……大丈夫か。」
 「……。……ん。」

 自分の問いかけに反応したことで、アランは安堵のため息を漏らした。寝台に手をついて中腰だった体勢から、脇に据えてあった椅子へ腰を下ろす。

 「手合わせの前に、体調が悪い事に気づけなかった。悪かったな。」

 若干猫背になって、肩幅に開いた膝の上で組み合わせた手に少し力が入った。心底心配そうにする彼を見るのは、そういえば初めてかも知れない。それが余計に私の後悔に拍車をかけた。

 「ううん……アランは悪くない。本当に。私こそ体調管理ができてない。ほんとに、ごめん。ほんと私、どうかしてる。」
 「アステア……。」
 「もう大丈夫だから。仕事に戻っても大丈夫だよ。」

 それを裏付けるように、私は腕の力を使ってヘッドボードに沿うように上半身を起こして見せた。

 「あまり無理をするな。今、医者を呼んでる。せめてそれまではここにいる。」
 「……ありがと。」

 それからしばらくすると、寝室の扉が数回ノックされた。アランが呼んでくれたという医師とそのアシスタントと思わしき女性が数人、小脇に黒い大きな鞄を携えてやってきた。王室御用達、といえば聞こえがいいけれど、このお医者さんはいわゆる掛り付けのなじみの人だ。私の事も小さい頃から──途中何年か空白があるけれど──知っている。
 到着するや否や、好々爺、という表現がぴったりな先生は、ゆっくりとした口調で診察を開始した。

 「いかがなさいましたかな、アステア様。お倒れになったそうではないですか。」
 「うん……特に倒れるような病気にはなってないはずなんだけど……。本当に、急に。」
 「ふむふむ。確かに、病気でしたらば既に診察しておるはずですな。それで、倒れる前は何をなさっておいでですかな。」

 私はなるべく詳しく、その時の状況を一通り説明した。最後のモーションに至るまで。

 「なるほど。そうですなあ、あとは病気でなくとも、何か変わった事はなかったですかな。」
 「病気以外で……。うーん……。」
 「なんでも構いませんぞ。」

 首をひねって最近の自分の事を思い出してみる。
 診察が始まったあたりに、アランは邪魔にならないようにと思ったのか、先生のいる寝台脇とは反対側の位置に立って様子を伺っている。そのアランに目で同じ質問を投げかけてみた。

 「……そうだな。最近また寝つきが悪かったんじゃないか。」
 「そうそう、そんな感じで結構ですぞ。」

 先生はそれそれ、というようにしきりに頷いている。なんだ、そういうことでいいのか。……それで原因がわかるのかな。ともあれ、再度最近の変わった事を思い出してみる。

 「……そういえば……最近、自分の感情がコントロールしにくいです……。」

 正直に告白してみようとしたら、自分でも意外な事に、するすると口から出てきた。

 「特に何にもないのに、怒りっぽかったり……。私じゃない私みたいで……。」
 「ふむふむ。」
 「なにかに呪われてしまったんでしょうか。今までこんなに感情が上下することなんてありませんでした。」
 「いやいや、そうとも限りませんぞ。決めつけるにはまだ早いですな。他には?」

 それからしばらく、私にとっては取るに足らないようなことも一応述べてみたりした。どれもこれもささいなことばかり。それでも先生は、話を聞けば聞く程真相に近付いているようなそぶりを見せる。あらかた話し終わっても余計に疑問符だけが増えていった気がした。それは、傍らで見守っていたアランにも同じ事が言えた。
 頭の上に疑問のマークをたくさん浮かべていると、先生は「ちょっとお耳を拝借」といって、他の人には聞こえないように私に耳打ちした。

 「……ということはないですかな。」
 「……!!」

 この時ばかりは先生が魔術師のように感じた。魔術師、というのもちょっと違う気がするけれど、とにかく耳打ちされた事はその通りで、なぜそんな事が分かるのかと気恥ずかしくなってしまったのだ。それも大いに関係あるらしい……。
 私のその反応をみて、いよいよ診察は完了したようだった。静かに成り行きを見守っていたアランもさっぱり結果が分からず、しびれをきらして尋ねた。

 「アステアは、何かの病気なのか?」
 「私はやっぱり、呪いにでも掛かってるんですか?」

 二人して似たようなコメントを出した事に、先生は「ほっほっほ」と笑う。そんな重病では、ない?
 ほっほっほ、で幾分私達以外の空気が和んだ辺りで一呼吸置き、先生は改めて居住まいを正した。

 「では申し上げましょう。アステア様は……」
 「アステアは?」

 アランがなぜか復唱している。
 私も何が原因でこうなってしまったのか、非常に気になる。いつになく勿体ぶっているな、今日の先生は……と思ったところで、結論が放たれた。

 「御懐妊でございます。」
 「へえー、そうなん……」
 「そうかそう……」

 「「……え?」」

 誰もが驚く完璧なシンクロぶりだったと思う。二人で言ったはずなのに一人で言ってるみたいだった。

 「小さい頃からアステア様を存じておりますが、いつのまにか大人に、いやいや、ついに御母堂になられるのですなあ。おめでとうございます。」
 「あ、あの、あのあの……。」

 頭の中が一瞬で真っ白になってしまい、ものすごく間抜けな返事をしてしまった。いろいろ、こう、いろんな事が渦巻いて、そのまま蒸発してしまいそうな感覚に襲われている。

 「そ、それじゃあ、その、ちょっと変わった事っていうのは……。」
 「左様。病気ではございません。呪いだなんて、まったくもって見当違いですな。気分が落ち着かなかったり、急な動きで血の気が失せてしまったりするのは珍しい事ではありません。全ての方、というわけではないですが、子を宿した母方に見られる兆候のお一つなのですよ。日々安静にしていれば、直落ち着いてきますゆえ。」

 先生は諭すように説いた。適確すぎる往診に、私達はただただ頷くばかり。

 「もう以前のような、子どものころのように走り回ったりするのはいけませんぞ。どうぞご自愛下さいますよう。アラン様も、今後一層アステア様を身体的にも精神的にもお支え下さいますよう。アステア様は心細くなることもありますからな。」

 先生はそういうと、二、三の安定剤を処方して後日回診の旨を告げ、緊急の診察はご和讃になった。部屋にはアランと私、二人だけが残される。
 一気に蒸発して消えてしまいそうだったのが、今は甘い々々液体が体中を駆け巡っているような、そんな感覚だった。間をおいて、静々と口を開いてみる。

 「……聞いた?」
 「……ああ。」
 「……ここに、いるんだって。」

 ゆっくりと、手を臍の下あたりに這わせた。アランは少し躊躇してから、私の手の上に大きな掌を重ねた。端に座ったアランの重さで、寝台はぎし、と鳴いた。

 「……全然、実感湧かないな……。」
 「それは、私もだよ。」
 「俺が、男だからなのか?」
 「え、じゃあ私は?アランにとって私はまだ「男の子」なの?」

 そこで、今日はじめての笑いがさざめいた。

 「違う。違うんだ。……上手く言えないんだ。」
 「ふふふ……。私はなんだか、すごく、嬉しいよ。」

 アランは私の言葉に、きっと最上級の静かな微笑みで応えた。
 二人の手が重なった場所は、その気持ちが伝わったかのように、じんわりとあたたかくなった。
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