09. 夜の海
浸透していく汐の微香。プラスして、少しべた付く凪がここが内陸でないことを如実に語る。素足の裏に触れるのは乾いた細かな粒。
ラダトーム城の庭がルーラによって加速的な効果線がついた後真っ暗に反転したかと思うと、次に立っていたのはここだった。
緩やかな波打ちが、一定のリズムで寄せては返す。
「ふむ、まあいいだろう。」
訳も分からないまま私をここへ連れてきた張本人、アランは回りを一瞥すると、納得を意味する台詞を呟いた。
「いいって……、一体どうしたの。こんなところに連れてきて。」
ここに来る前、もう寝ようという矢先の私に、何か羽織れ、とアランは指示した。怪訝に思いつつも珍しく強く要望を口にするアランの迫力に負けて、それに従った。アランは私をプライベートガーデンに連れ出したかと思うと、何も告げずに空間転位呪文、ルーラを唱え、そして今に至る。
アランは寸刻、辺りに危険がないか確認していたらしい。
無人の浜辺は神秘的な程に静かだ。空には下弦の月、とでもいうのだろうか。弓なりの細いラインが、深淵の夜空の中控えめに存在を主張している。半ば強制的に連れられてきた場所は、多分地上世界のどこかの浜辺なのだろう。
「ここなら落ち着けるだろ。」
ようやく、アランが理由を述べた。
「……え?」
「最近、深く寝てないな。アステア。」
「あ……。」
驚いた。アランにはばれないようにしていたつもりなのに。
そう、実は最近あまりよく眠れていない。きちんとほぼ定刻に床についてはいるのだけれど、体は疲れているのに頭がずっと冴えていて、ようやく寝つけると思うと朝、の繰り返しなのだ。暖かい飲み物や薬膳なども試してみたけれど、いまいち効果はなく。正直、今日は自分自身にラリホーをかけて強制的に寝てしまおうか、と思っていたぐらいだ。
強制的に睡眠回路のスイッチを入れてしまうので、あまり体にいいとは言えない。
「ごめん。寝返りとかで起こしちゃってたかな。」
「……俺よりも自分のことを心配したらどうだ。ここの所、気の休まっている時がないんじゃないのか。」
「……そう、かな。」
「まあ、ラダトームの英雄だからな。どこへ行っても声を掛けられるのは仕方がないといえば仕方がないが……。公務の引き継ぎにしろなんにしろ、いつでも気を張り過ぎだ。」
「そんなつもりは、ないんだけど……。」
そこまで言って、アランは深くため息をついた。
「まあいい。眠れていないのは事実だ。ここなら自分のペースで一息つけるだろう。」
アランは砂地に腰を下ろす。私も吊られて隣に座った。波の音だけが響いている。
無言で何もしない時間。ああ、そういえば久しぶりかもしれない。
比較的温暖な気温であるけれど、海から吹いてくる風は時折肌を小波立たせる。
不意に、背中から風ではない抱擁が訪れた。アランは、自分の羽織っていた外套の半分を広げて、私を風のいたずらから覆ってくれたのだ。ずっと海を眺めているだけのアランだけれど、そのやさしさは体温越しに伝わってくる。
「……もう少し、頼れ。」
外套の中の心地良さに身を任せる。小さく、はい、と返事をして、私は微睡みへと落ちて行った。
同時に、砂地はあの時の砂漠を思い出すな、なんて思いながら。