ロト紋好きさんに30の命題より

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  29. きせき  

 御霊様の意向に従ってルーラで飛ぶ先は、てっきり遺跡かほこらか、そういった「伝説的な所」かと思っていた。ところがまったく予想に反して、着地したのは地下世界中枢のラダトームだった。魂というものは得てして静かなところを好むもの、というのが定石なのだけれども、まさかこんな繁華しているところへ行着くとは。
 とはいっても、御霊様が脇目も振らずに歩みを進めたのは町中見物ではなくその先にあるお城だったわけで。いよいよ核心に迫ってきているのかもしれないわね。

 「御霊様、目的地はここですか?」
 「そうだ。」
 「やっぱり、中に入るんですよねえ。ジパング国女王扱いで入れてもらいましょうか。」
 「いや、それには及ばない。それに、イヨ一人で取次いでもらったら怪しいだろう。」
 「それはそうですけど、じゃあどうするん……」
 「レムオル。」

 言い終わらない内に、御霊様は私に透明化の呪文を掛けた。これで私も御霊様も誰からも姿を確認出来なくなった。つまり、お城へは秘密裏に潜入しろ、という意味合いなわけ。確かにわくわく感は欲しかったけど、ここまで行くと私以上の御霊様の行き当たりばったりには勝てる気がしない。

 「じゃあ、行くよ。久しぶりだなあ、どうなっているんだろう、中は。」
 「久しぶりって……。」
 「直に分かるよ。」



 城門の衛兵の脇をすりぬけて、私達は城内へと侵入した。見つかるはずはないのだけど、なぜかこそこそしてしまうのが悲しい。御霊様といえば勝手知ったる足取りでどんどん奥へ進んでいくので、ようようのことで追い付いていく。たまにあちこち目に止めては、そういえばそうだった、とか、懐かしい、とか言っている。
 そして、吹き抜けで階下がよく見渡せる廊下で立ち止まると、その頭上に飾られた古いレリーフを眺めた。先代の王と王妃ともう一人。三人ともまだまだ年若い姿見なのが心苦しかった。御霊様はそれを見つめる。どこか懐かしいような、それでいて悲しそうな目。そのレリーフの中で一番若い絵は、御霊様をそのままそっくり写していた。

 「御霊様、これって。」
 「そう、私だ。……ラダトーム王家の第一王子だった。異魔神の魔王軍に破れて、魂がこの世から離れたんだよ。」
 「そう、だったんですか。」
 「ルビス様自身が動いた事で魂達もこの世にまた平和が訪れた事を知ったんだ。……本来は、勇者の役目は私が負う責務でもあった。だからこそ、私の意志を継いだ勇者自身が、今幸せなのかどうか確かめたくてね……。それに……私が最後の肉親でもあったからね。」
 「もしかして、その勇者って……。」
 「時間がない。急ごう。」

 御霊様はレリーフ前から踵を返した。心無しかさっきまでより大股で歩いているように感じる。私はそれについていくために慌てて小走りで後を追った。
 最終的に辿り着いたのは、王の部屋だった。物に触れられない御霊様に代わって、そーっと扉を開く。開いた隙間からはぐれメタルスライムもびっくりな速度で入り込んだ。いよいよ隠密活動も極まれり、ね。

 「あれ? 風かな?」

 先に部屋にいた人影が、ひとりでに開いた扉を不思議に思ってこちらを振り返る。小首をかしげて、中途半端に開いた扉を締め直す。その人と私達の距離は目と鼻の先だ。
 ……実はちょっと気付くのが遅かったのだけれど、この人アステアじゃない! 髪は肩まで伸びてるし、女物を着てるしで、暫く会わない間に……見た目別人かと思った。心の中で、ごめんねアステア、と謝っておく。同時に、ラダトームは本当に謎だらけだ、とも。今度アステアに問いただしてみよう。

 「アステア……随分と大人になった。」

 御霊様はアステアをじっと見つめている。きっと様々なことが、この二人にはあったんだろう。ただ懐かしい、で済むようなものではない、ずっしりとした重みがその一言に詰まっている。

 ──ん? そういえばアステアはたしか肉親の身寄りはなかったような……御霊様の跡を継いだ、というのがアステアということならこの人はアステアの兄、ということ?

 合点、御霊様がラダトームしいては勇者に固執する理由が、すとんと胸に落ちていった。
 アステアは扉を閉めると元の作業へと戻るようだった。テーブルの上には茶器と菓子。休憩時に軽めの食を取る習慣はどこの国でもあるものね。ああ、そういえば今日は食べ損なっちゃったわ……。極上の練り餡があると聞いていたのに。

 「……二つある。」
 「え?」
 「カップ。」

 さっきまで慈しむようにアステアを見つめていた御霊様の表情が険しくなっていた。御霊様が指差す先には……あら、本当だわ。急須が一つ、湯飲みが二つ。あ、ポットとカップだっけ。だれか客人でも持て成すのかしら。にしては随分と重要な部屋だし。
 私達の思惑と入れ違いに、今度はちゃんと人の手で扉が開かれて、一人の人物がやってきた。

 「あれ、アランじゃない。」
 「アラン、というのか。何者だ?」
 「ええと、そのう……話すと長いので今は割愛で……。」

 異魔神戦の後、アランがラダトームに身を寄せたらしいということは風の噂に聞いていたけれど本当だったとは。私はあの頃はアステアは男性なのだとばかり思っていたし、アランがラダトームに来た事は生きる上での最低限の定住の地を承諾したにすぎないものだと思っていたのだもの。でも、渡されたもう一つのカップの行方からはそんな事務的な要素はあまり見当たらないように思う。
 つまり、私はアステアの兄君の表情を確認したくない、ということ。末恐ろしい。

 「み、御霊様……?」
 「……いや、大丈夫、だ。アステアも年頃だろうから、な。」

 平静を装っているつもりらしいけれど、押さえた力がわなわなと絞り出されているのが分かる。これが実体を持っていたらと思うとあまり想像したくない。

 「あの男は、アステアに相応しいのか?」
 「え、ええ。そうだと思います、よ? た、多分……あは、あははは。」

 御霊様の静かな怒りを中和しようと空笑いを入れてみても、焼け石に水、のれんに腕押し。いろんなことわざが出ては御霊様のオーラにかき消されている。私だってどこがどうなってそういう関係になっているのか分からないのだし、これが精一杯のフォローというものよ。
 目の前で繰り広げられるそれは、端から見れば和やかな午後のひととき。見えない部分で修羅が渦巻いていることなんて露程にも思わないだろう。けれど、修羅は修羅なりに気合いを見せたらしい。突然、窓ガラスに一条のひびが走った。

 「ちょ、ちょっと御霊様! 変に力を使わないでくださいよ!」
 「あ、いや、すまん……。つい……。我を忘れるところだった。」
 「まさか勢い余ってアランをどうにかするつもりじゃないでしょうね。」
 「あの男はなんとなく腹が立って仕方がないが……アステア……ぶつぶつ。」
 「ちょっとちょっと。」

 私の突っ込みがなかったら、本当にやらかしていたかもしれない。ルビス様のお許しを得て下界に降りた魂の割に、ずいぶんと向こう見ずな人だと思った。これではアステアも苦労をしていたに違いないわ。
 落ち着きを取り戻した御霊様は、一つ深呼吸をして改めて状況を把握しようと善処したようだ。

 「にしても……あのアステアが、私以外の男にあんな表情をするとはな。」
 「あんな、表情?」
 「アステアが物心ついたときには、既にあまりいい時代とは言えなくなっていたからな。身内以外の者には己が心を悟られまいと、ずいぶんと頑なだったものだよ。特に、笑顔は。」
 「そういえば、そうですね……。私もあまりアステアの笑った顔は見た事がありません。」
 「それがどうだ。あの幸せそうな……。」
 「御霊様……。ちょっと寂しいですか。」
 「まあ、な。だが、生けるものは生けるものの領域というものがある。アステアは生ける者だ。その世界で心を赦している……それに異論を挟むことはできまい。私はどうあがいても、死者なのだし。怨霊になったらルビス様に示しもつかないわで、このアロイス、渋々この事実を受け入れよう。」
 「御霊様、お名前アロイス様とおっしゃるんですね。」
 「……レリーフ見たんじゃないのか。」
 「確認を失念しました。たはは。」
 「ずいぶんと呑気な「女王」だなあ。」
 「アロイス様には言われたくありませんね。」

 なんだかんだで結局は、妹の幸せを目の当たりにした御霊様はそれで満足したようだった。今は亡き私の先代女王ヒミコ様も、私が嫁ぐとなったら同じように思うのかしら。……ううん、一時的とはいえここまで嫉妬することは絶対にないと思う……。

 「それじゃあ、そろそろジパングに戻りましょう。」
 「もうそんな時間か。……ちょっとだけ待って貰えないか?」
 「? え、ええ。少しだけなら。」

 御霊様は、恩に着る、と言って手近にあった文机に視線を移した。机の上には何の変哲もない文具類がいくつか置かれている。御霊様は眉間にしわを寄せて集中しはじめたかと思うと、文具の一つの印鑑がカタカタと揺れた。

 「ちょ、ちょっと御霊様、何を……!」
 「くらえっ!」

 私の制止空しく、印鑑は念動で勢い良くアランの方へすっとんでいった。一直線の軌跡を描いた御霊様のささやかな嫌がらせは、見事小気味良い音を立ててアランの後ろ頭に命中した。反射的に「痛ッ!」の声。

 「これぐらい、いいだろ。……さ、帰ろうか。」

 辺りをきょろきょろを見渡していぶかしむアランを横目に、御霊様はすこぶる満足そうな笑顔を見せたのだった。
 今年の御霊寄せは物凄いことになったけれど、私はなんとなく、一握りのせつなさと共に嬉しい気持ちで一杯になった。帰ったらイズナに、一部始終を聞かせよう。御霊様のルーラに身を任せながら、余韻に浸った私なのだった。
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