07. 逃げる意味
「それにしても驚いたわねー。アステアってばすっかり女らしくなっちゃって。」
「ヤオ……もう、その話はいいってば。」
「何度だって言うわよっ。あなたが女だ、って分かったときの衝撃と言ったらなかったわ。」
私、ヤオはラダトーム城の中庭でアステアと話に花を咲かせている。
アステアとは異魔人との戦いで共闘した仲であり、すっかり平和になった今では数少ない女友達としての友好を築いている。今日も今日とて、忙しい毎日のささやかなご褒美として、息抜きに馳せ参じている、というわけ。
アステアは今でこそこの国の后として定着しているけれど、茶のみのメニューにもっぱらよく上るのはこのスキャンダラスな昔話だったりするのだ。
「だから悪かったって。」
「悪くはないわよ。その甲斐あって、こうした幸せがあるわけだしね。」
中庭の真ん中に据えてある噴水に気を配ると、息子のリーが服の裾を濡らしながら水遊びをしているのを感じた。足首までの水がパシャパシャと音を立てている。
「リー! あんまり水浸しになると風邪をひくよ!」
リーは、はあい、と生返事だけをして夢中になっている。これもいつもの事。
「着替えはアロスのでよければ貸すよ。」
「はあー……、ちょっとはお宅の息子を見習って欲しいものだわ。」
「私から見たら、リーの元気をアロスに分けて欲しいと思うけれどね。ああ、でも、スライム退治をちょくちょくされても困る……。」
「スライム退治?」
母親二人が集まれば、自然と会話は子どもの事になる。
アステアが女性として生きはじめた頃こそ、その差に正直戸惑いもあったけれど、今では誰にも負けない魅力がある、と女の私ですら思う。アロスとアニス、二人が生まれてからは母親としての魅力も附加されて、一層華やいで見えた。……旦那の功績がかなり大きいのだろうけれど。
旦那がかのアランだと知った時の驚きと言ったら、筆舌に尽くし難いこと極まり無しだった。その果報者は中庭に来る際すれ違い、ゆっくりしていったらいい、とだけ言って仕事に戻って行った。
寡黙ぎみなのは相変わらずだけれど、かなり表情は柔和になった。これはアステアの所業に違い無い。
「ごめんなさいね、アロスもアニスももうすぐ帰ってくると思うから。」
アステアが詫びるとほぼ同時に、ただいま戻りました、という二つの声。噂をすればなんとやら、ラダトームの双生児、アロスとアニスが帰ってきたらしい。水遊びをしていたリーも、それに反応して声の方角へ駆け出している。一人遊びはつまらなかったのだろう。さっそく遊びにいこうと誘っている。
「アロス、アニス。ご挨拶は?」
「あっ。」
アステアがやさしく促す。
「「こんにちわ。」」
「はい、こんにちわ。アロス、アニス。リーと遊んであげてね。」
はい、と素直な返事を返した双児達は、やっぱりどことなく両親に似ている。
「そういえば、二人ともスライム退治しているんだって?」
先程話題に上がった件を本人達に聞いてみる。なかなかにデンジャラスな遊びがどのようになっているのか興味があった。
なんでも、街道付近に出るスライム相手──しかも、何故かいつも同じスライムなのだそう──に勝負を挑んでいるらしい。勝負は五分五分、とは本人談。リーも話に興奮したのか、今度は自分もまぜろなどと言っている。
嬉々と説明する双児達とは対照的に、アステアは若干困り気味だった。
「まあ、アランが最近ちょっとだけ稽古をつけてるから大した怪我はなくて済んでるんだけど。」
「勇猛果敢なのね。さすがというかなんというか。」
「うーん、勇猛果敢、といえばそうなんだけど、ね。」
……なるほど。アステアの心配は手に取るように分かる。ここは一つ、お役に立とうと思う。いずれリーにも話そうと思っていたことだし。
私は子ども達の近くにしゃがむと、諭すように言った。
「勇気があるのはとてもいいことよ。でも、時には逃げる事も大切。」
案の定、武勇伝とは対照的な私のコメントに子ども達はきょとんとする。
「逃げるの? どうして?」
「逃げたらかっこわるいよ、母ちゃん。」
「そうね。見てくれは悪いわね。でも、逃げる事が次の勝ちに繋がることもあるのよ。」
「???」
「うーん……ちょっと具体的にはまだ難しいかな。ま、簡単にいうと、大怪我してこっぴどく怒られるよりはさっさと逃げて次がんばりなさい、ってとこね。そして、悔しかったら自分を鍛える。以上!」
子ども達は分かったような分からないような、微妙な顔をしていたけれど、とりあえずは聞き入れてくれたようだ。
「さあさ、遊びにいくんでしょ。夕方までには戻ってきなさいね。」
私は頭の上に疑問符がたくさん浮かんでいる子ども達の背中を押してやった。三人ともそれを皮切りにお城の中へと走って行く。
「……今の言葉、ヤオが言うと重みが違うわ。」
「……まあ、ね。拳王に相応しい強さを身につけられたのも、一度拳王の里から逃げ延びたからだものね。あの子達は知らないことだけど。」
「……ヤオ。」
「なーに辛気くさい顔してるのよ。今は里もすっかり復活してるんだし。アドバイスするつもりがアステアを落ち込ませてたら本末転倒だわ。」
「そうだね。ごめん、ありがとう、ヤオ。」
「やだなあ、水臭い。」
私とアステアは、苦笑しながらも母親同士の気苦労と喜びを分かち合った。
いずれあの子達にも分かる時が来るだろう。逃げることは負けることじゃない、ということに。